唐揚げ、鱧で有名な私の故郷・中津市紹介

「唐揚げの聖地」中津 山国川を遡上する「耶馬溪線」があった町
そして、銘酒「耶馬美人」、中津干潟で育成する牡蠣「干潟美人」に
京都に骨切りを伝えた「中津鱧」の町
そして、その昔、地方競馬があった町


ラーメン・唐揚げ旧耶馬渓線耶馬美人競馬場の町

 私の故郷、大分県中津市の公式HPなどでは紹介しない「庶民の視点からの中津市」について紹介させていただきます。

 中津市は、福沢諭吉が育った地として有名ですが、日常生活上では「唐揚、ラーメンの店」が多いので有名です。帰省した時には、まず昼にラーメンと夜に唐揚げを食べることで帰省を実感できるほどです。(私だけではないと思います。)

 有名なラーメン店(下の写真)と唐揚げのお店(いろいろな屋号の店が独自の味付けで味を競っています。しかも、すべてテイクアウトの店です)の写真を載せます。「昼にラーメン、夜は唐揚げ」が帰省しての私の食事の定番です。

 ラーメンも唐揚げも少なくとも1955年頃?から営業しています。何せ、病人のお見舞いに唐揚げを持っていくくらいです。「鳥天」を変化させたとする説もありますが、中国からのいわゆる「引揚者」が戦後に鶏卵養殖を始めたのがきっかけとする説が有力です。以前、国道10号線筋にあの「ケンタッキー」が開店したそうですが、すぐに撤収したそうです。(現在は、イオン三光の中にある)それほど、唐揚げは、中津市民に定着しているのです。最近、中津市のHPに唐揚げマップがアップされています。
中津名物「鳥の唐揚げ」の老舗店の一つである「森山」。中津で最初に唐揚げを始めたのが「細川」(今は、スーパーに変身)と、この「森山」といわれています。
 森山の特徴は、自家栽培のニンニクを大量に
使った味です。もちろんテイクアウトの店です。町は、ケンタッキーが入る前から「ケンタッキー化」されていたのです。
この人が中津唐揚げの元祖。森山さん。昭和44年?頃からこの地で営業。今なお現役だ。多くの人に唐揚げの作り方を教えたことで今の「繁栄」がある。フランチャイズにしていれば、大儲けできただろうに。おじさん曰く「そげんこつ、どうでもいいんじゃら」。心の広い方です。
写真がピンぼけですが、骨なし100グラムで
180円、骨付きなら150円です。油で台所も
汚さずにすみ、かつできたてをおいしく食べる
ことができます。非常にリーズナブルですね。

 最近は、この森山唐揚げ店の姉妹店の
オーナーが、博多にも出店したそうです。
(2009年8月撮影)

金色温泉は中津の代表的スーパー銭湯。男女各6つの露天風呂で遠くは博多からもお客がつめかける。


中津市で最も有名なラーメン店の「宝来軒」。市内あちこちに5つの支店があります。写真は、焼豚ラーメン(ここでは550円)です。味は、豚骨醤油味です。創業が独自に開発した味と言われています。屋号を許されるのは、元祖「宝来軒」の親族だけです。 昼時には行列ができるので私は、昼時を避けて通います。

かって私鉄耶馬渓線(中津←→守実温泉)が走っていた町

昔、中津と山国町守実温泉を結ぶ私鉄耶馬渓線が私の故郷には走っていました。
実家の前には、「八幡町」駅があり、乗降客でごった返していました。この線路が今も
残っていれば、どこにも負けない観光資源となって、地域振興がなされていただろうと
残念でなりません。「八幡」とは「薦神社」のこと。薦神社は、全国の八幡宮の元締めで
ある「宇佐八幡宮」の祖宮です。薦神社の神体「御澄池」に自生する薦を毎年収穫し
それで「薦枕」を作ります。それを宇佐神宮のご神体としているのです。

耶馬渓線は、明治45年から昭和50年まで路線を縮小しながら命脈を保っていました。
廃線の理由は、モータリゼーションによる赤字です。赤字の理由で廃止された「中津競馬」
と同じです。しかし、鉄道も競馬も文化です。共に廃止されたのは残念でなりません。


実家近くに立つ古城駅跡記念碑

古城駅から中津方面を望む。
今は、サイクリングロードになっています。
↑こんな汽車が走っていました。 ↓古城駅記念碑の裏 「昭和50年廃止」とある

懐かしすぎる蒸気機関車。
次第にディーゼル機関車に変わり
ました。これらの汽車・客車は、
実家近くの「汽車ぽっぽ食堂」に
展示されています。

沿線は、車窓から山国川渓谷、「青の洞門」(左)やオランダ橋(右)がパノラマのように
一望できる絶好の路線だったのです。

幻の米焼酎「耶馬美人」を生産する蔵元のある町

 「耶馬美人」の蔵元は、名前から耶馬渓の焼酎メーカーのように思われますが、実は、中津駅近くの中殿町にある小さな酒造メーカーです。無名時代から扱っていた耶馬渓方面の酒屋さんには常に卸されているようで、逆に中津市内で耶馬美人を扱っているお店は、私の知る限り2店くらいで、しかも、入荷即完売なので、市民であっても、入手困難となっています。
 ※現在は、市内の道の駅でも販売しているようです

 耶馬渓方面の小さな酒屋さんでは、20度1升瓶で3000円前後、25度ですと5000円前後で販売されています。私は、20度しか飲んだことがありません。20度の割に、日本酒のような米のまろやかな味が最高です。確かにおいしいです。中津のお土産用に25度4合ほどの化粧瓶が確か4000円位します。実にばかげた値段です。  





蔵元を通りから
撮影しました


40度の長期貯蔵酒(古酒)の「げってん」
ひょうたん形の壺に2合ほど入って1万円。
高い!
 ちなみに「げってん」とは「かわりもの」とか
「へそまがり」を意味する大分方言です。
左が、麦。右の白ラベルが米です。 小さな蔵元です。
表玄関には車が一台。
耶馬美人のロゴの入ったトラック。
詰め替え用の一升瓶が一杯保存され
ていました。
私の記憶違いかも知れませんが、耶馬美人がこれほど有名になる前は、
同じ米焼酎が、耶馬渓では「耶馬美人」名で、中津では「旭菊」の名前で売られていたように思います。麦焼酎は、「三拍子」の名前だったと思います。ところが、麦焼酎もいつの間にか「耶馬美人」で売られています。私の家(大阪)の近くの酒屋で、麦焼酎が、なんと税込みで7000円くらいで販売されていました。庶民の酒であるはずの焼酎がこの値段とは怒りも覚えます。しかし、確かにうまいです。
 

嘗て「公営競馬場」があった町

 嘗て、「中津競馬場」が我が故郷にはありました。一時は、市の財政を潤してきましたが、
ご多分にもれず「赤字」を理由に廃止されてしまいました。
 私の通った小学校から競馬場で馬が走る姿が直近で見ることができました。
小学校の周りには、多くの厩舎がありました。騎手や調教師になった
友人もいました。そんな「素晴らしい環境」で勉強にいそしみました。

 自宅から1キロにも満たない所にあっただけに、帰省に度に通ったものです。
 一度なくなると、二度と復活できない優れた文化遺産を二つ(耶馬渓線と競馬)も
失った町が、我が故郷中津市です。(残念!)

左は、今も残る入り口側の
トイレです。木の右横に、
パドックがありました。
右は、旧メインスタンドから
みる馬場です。ダートは、
固まっていました。
土地の所有者は薦神社。
柵より右が駐車場です。
柵より左が旧スタンドのあ
った所です。
左は、厩舎関係者の住む
団地入り口です。
 中をのぞきましたが、嘗て
存在した住まいは完全に
「整理」されていました。
 
左は、中津競馬場で死ん
だり、へい死になった競走
馬の墓です。厩舎施設内に
あります。
 中津競馬場の殆どの敷地
は、薦神社の所有地でした。
薦神社は、三角(御澄)池
そのものをご神体とする珍
しい神社です。宇佐神宮のご
神体(薦枕)を作っているの
からです。
上は、薦神社の門(重要
文化財)です。
inserted by FC2 system